飛行機や鉄道またその模型関連の記述は、いくらでも書けそうなので新たなページを設けることにした。 コンテンツとしては搭乗記と製作記の予定であるが、現代の旅客機については他にもたくさん搭乗記があるので、詳しく触れない事にする。 ちょっと昔の、郷愁をさそうものを中心にしよう。
■ 初めての飛行機 コンベア CV-240
私が飛行機に乗ったのは日本では早い方だと思う。1964年1月に北日本航空のコンベアCV-240で羽田、八戸を往復した。レシプロエンジンの2,400馬力双発40人乗り、最高速度430km/hと言う機体であった。パンフレットにエンジンの排気管から炎が噴出す事(アフターファイアであろう)があるが、心配要らないなんて事が書いてあった記憶がある。
現在民間機が離発着する空港は三沢であり、当時も全日空は三沢を使っていたが、北日本航空だけ八戸の海上自衛隊基地に降りていた。P2ネプチューン対潜哨戒機が並んでいたと記憶している。
昔の事でよく覚えていないが、窓が大きく下界が見やすかったこと、その窓から見下ろした羽田空港の誘導灯が今でも思い出せるくらい美しかったことが印象に残っている。一応与圧キャビンのはずだが、着陸時の耳の痛さは未だに経験のないひどさで、本当に与圧していたのか怪しい物だ。
当時飛行機に乗ると言う事は、ちょっと贅沢な気分が味わえ皇居前パレスホテルの営業所に集合し、そこからバスで羽田に向かった。のんびりした時代で座席指定もなく、係員の誘導で飛行機まで歩いて行き、早い者から座席に座ると言う方法だった。当時子供だった私は当然走った。立ち席はないから最後でも座れる。上写真のように機体後部にタラップが内蔵されていて、後部から乗り込むというのも、前方のボーディングブリッジに慣れた今となっては懐かしい。写真は当時のパンフレットから切り抜いた物、一番上と一番下は富士航空、中段は北日本航空の機体。両社が合併し、日本国内航空となって、さらに東亜航空と合併し、東亜国内航空、現日本エアシステムとなった。
当時の時刻表が見つかったので、下に掲載する。たった1枚の簡単な物である。羽田から札幌まで10,200円となっている。全社で一日14便しかなく、時刻表からCV240は2機、DC-3も2機しか持っていないことがわかる。DC-3は残念ながら未だに乗ったことが無い。
左より全日空 YS-11、アメリカ空軍 Convair C-131A(CV-240の軍用型)、北日本航空 Douglas
DC-3
上左プラモデルの写真は、両機とも1/144縮尺。全幅、全長はほとんど同じでほぼ縮尺比に合っているが、YS-11の胴体が不釣合いに細い。実物が並んでいるところを見た事が無いので良くわからないが、何かおかしい。
今まで100回近く飛行機に乗ったと思うが、これほど興奮したフライトは経験がない。ハワイのホノルルから出発し、マウイ島、カウアイ島で観光し、真珠湾経由でホノルルに戻ると言う一日ツアーでこの飛行機に搭乗した。時は1985年10月、新婚旅行での体験である。
ガイドブックで知り、このツアーに参加したく前日電話で予約したが、どうも最後だったようだ。参加するのはほとんどが新婚旅行のペアだから、9人乗りの飛行機では最後の予約客が半端になる。それでもかまわないと言ったので、愛する(当時)新妻とは別の機体に泣き別れ。ツアーは3機編隊であった。航空会社は申し訳ないと思ったのか、かなりの時間、私と家内をコパイロット席に座らせてくれた。これがおもしろいの何の、女房と別れたくらいものの数ではない。ホノルル国際空港に操縦席に座ったままで着陸すると言う得難い経験までした。
ビーチクラフト C-18Sは初飛行1936年とかなり古い機体だが、扱いやすく、信頼性が高いことから戦後も長く使われている。尾輪式で、地上では前が上がる。席が前方だと坂を上って行かねばならない。搭乗時に床が水平でない飛行機に乗ったのは後にも先にもこの一機だけ。
高度数百mの巡航で機内の与圧は無い。従って窓も大きい。速度は時速200km弱であるから、島巡りの観光が十分楽しめる打って付けの機体だろう。コパイロット席に座った新妻は目の前にある操縦桿の働きが良くわからず、触って押してみたそうな。途端にキャプテンに睨まれたとか。まかり間違えば間違いなく墜落。素人は怖い。
3度の着陸、2度の離陸を操縦席で体験したが、文字通り舞い上がった私は、プロ用一眼レフカメラとビデオ(8mmビデオが発売された年)をとっかえひっかえ撮影に夢中であった。風に煽られることも無く簡単に滑走路に正対し、そのままスムーズに着陸、自分にも出来るのではないかと思ってしまうほどのあっけないランディング。
カウアイ島からホノルルに至るコースは1941年、日本軍が辿ったコースと同じだそうな。真珠湾は陽光に輝き美しい。あの戦争さえなかったらこの風景を愛でることもできたであろうに、どうしても伏目がちになってしまう。写真には補給艦と潜水艦二隻が写っている。空から見るとこの地域と船を壊滅させたところで戦争に勝てるわけが無いと実感する。その程度の広さで、のどかな真珠湾であった。
下写真のプラモデルは発展型C-45の海上自衛隊で使っていた当時の塗色。地方中都市で何気なく入った模型屋で見つけた。掘り出し物だった。
子供がJALに乗ると、右のようなディスプレイモデル(Boeing747-400)をプレゼントされる。組み立てるのに15分程度要するが、なかなか見栄えが良い。
オヤジも欲しくなり、あるときJALのスチュワーデスに言った。「前に子供がジャンボのプラモデルをもらったけど、気に入っていたのに壊しちゃって、もう一機もらえないかなあ」 すると二つ返事でニコニコしながら一機オヤジの私に手渡してくれた。子供にこの話をしたら、怒られた。ANAではレゴブロックみたいなモデルをプレゼントしてくれるのだが、見栄えが悪く親父が横取りする事は無い。
結婚前は割と時間があり、ラジコンも含め飛行機ばかり作っていた。この25年で作り貯めた飛行機群である。自分が乗ったことのある飛行機を優先したので、軍用機は少ない。
■ Scale 1/100 下記モデルのほとんどは2010・.3・11の東日本大震災により落下破損したため、残念ながら廃棄しました。
自分が乗った飛行機、ということで旅客機が揃っている(株)童友社の1/100シリーズからコレクションが始まった。一昔前の飛行機ならちょうど良いスケールなのだが、大型機では大きすぎる。ジャンボでは長さが70cmにもなってしまう。
ほとんど20年以上前に作ったモデルで、文字通り棚晒し。厚く積もった埃を払い、カビを拭い、ようやく撮影できるまでにクリーニングした。このスケールの軍用機は極めて少い。
所属, メーカー 型式
上左より、全日空, ロッキード L1011 トライスター (モヒカン旧塗装 私はこの塗装が好きであった。ロッキード事件の主役)
日航, マクダネルダグラス DC-10 (数年前再塗装、乗った印象の薄い機体)
日航, ボーイング 747-100 (通称ジャンボジェット) (2004年現在未完成、この大きさでは作るのが大変)
中左より 東亜国内高空, マクダネルダグラス DC-9-40 (この塗装は地味でいただけない、国内線では好きな機体)
全日空, ボーイング 727-200 (日本での事故が多かったが、このスタイルは気に入っている)
日航, ダグラス DC-8-61 (かつての空の貴婦人、一度だけ乗った)
ルフトハンザ航空, ボーイング707 (残念ながら乗った事が無い、ライバルDC-8より好きな面構え)
下左より アメリカ空軍, ノースアメリカン F-86Fセイバー (自衛隊初期の主力戦闘機、今から見れば小さい)
航空自衛隊, ロッキード F-104 スターファイター (小学生の頃憧れた機体)
TWA航空, ダグラス DC-3 (残念ながら乗った事が無い)
北日本航空, ダグラス DC-3 (懐かしい北日本航空の塗装)
全日空, ボーイング 737-200 (何度も乗ったが、ちっともおもしろくない)
英国航空, エアロスパシアル コンコード (一度は乗ってみたかった)
■ Scale 1/72
このスケールは、コレクションするにはちょうど良い大きさで機種も多いが、大型旅客機では大きくなりすぎる。小型機では少し小さい。
現代の主力戦闘機がYS-11や第2次大戦時の物と比較すると、いかに大型化しているか良くわかる。
所属, メーカー 型式 (プラモデルメーカー)
左上より、航空自衛隊, 三菱重工 MU-2J (ハセガワ)
海上自衛隊, Beechcraft C-45 (Hobby Craft Canada)
"Spirit of St.Louis", Ryan NYP (Testors)
海軍, 愛知 十七試特殊攻撃機 AM-26 南山 (タミヤ)
中上より 海上保安庁 日本輸送機製造 YS-11 (童友社)
航空自衛隊, McDonnell Douglas F-15DJ EAGLE (ハセガワ)
アメリカ海軍, McDonnell Douglas F/A-18 HORNET (タミヤ)
NASA, North American X-15 (Monogram)
右 United Air Lines, Boeing 247 (Williams)
順次 1/48、1/144追加予定