雑談室 2005年10月~
友の死 (2005.11.20) 松崎 温 君 追悼ページ
50年間の長きに渡り交友を保ち続けた友人を失うのは、ものすごく辛い。「安らかに」なんて穏やかな言葉は、とても出てくるものではない。幼稚園以来の友人が13日他界した。どんな苦労にも音を上げず、軽妙なジョークで誰でも惹きつけてしまい、小学校のクラスではおそらく一番人望が厚かった彼と、最後まで親友でいられた事をしあわせだったと思いたい。
大切な人の死に直面したとき、残された者は何をどうしたら良いのだろうか。父親を失った時は「科白を忘れ、舞台上に立ち尽くす役者」(彼の文章より引用)のようなものだった。周りの人の言うままに何も考えず手足を動かし、型通りの言葉を吐き続けるだけの操り人形だった。恩師江守一郎先生が亡くなった時は、羅針盤もGPSも失い目標を探せない大海の小船だった。
どんなに嘆き悲しんでも、悔やんでも、惜しんでも甦りはしない。その人を想いながらも一人で何とか歩みだし、悲しみを乗り越えたとき、亡くなった人のポテンシャルの一部が自分に乗り移って来るような気がしてならない。受動的か能動的作用なのかは知らない。気が付くと亡くなった人の形質の一部を受け継いでいる自分がいる。彼のように穏やかで暖かく、そのうえ何事も投げ出さない人一倍の根性を持った、そんな敬愛すべき天性を受け継いて行きたいものだと思う。
こんな私を最後まで信頼してくれた彼のために、彼が生きた証を残すことが私にできるせめてもの供養なのかも知れない。決して出しゃばらず、人前に立つことを嫌った彼の事だから、「余計なことをするな」と怒られそうだ。でも故人の思い出を語るのが一番の供養だといわれるし、私もこの考え方が好きだ。だからいつか落ち着いたら、彼が生きた証を形にしておきたいと思う。。
「ゴメン、ゴメン びっくりした?」と言って出てきそうなお茶目な彼。明るく楽しいことが大好きだった彼のために、泣くのは止めにしよう。
亡き友 松崎温君
松本市生まれ、聖テレジア幼稚園、信州大学附属松本小学校(ここまで8年間私と同じクラス)、同中学校、松本深志高校、東北大学金属工学科修士(最後の一年間、私の実家も仙台だった)、昭和電工秩父工場(独身時代の5年間、車で1時間の所に住み頻繁に行き来した)
2005年11月13日 急性疾患により故郷松本で死去。
松本の不思議な看板 (2005.2.25-11.20改編)
下記の文章、実は故人に煽てられて書いたものです。彼の家の近くにある看板で、見たことがある人でなければ、この可笑しさはわからないと思う。彼も今度松本に行ったら確認してみると言っていたのに、返事も聞かないまま逝かれてしまった。彼の好きなジョークの一つとして残しておく事にします。
松本から引っ越して40年も経っているのだから無理も無い事だが、変わらずに残っている物は少なくなった。以前住んでいたあたりをぶらぶらしている時に、昔のままの看板を見つけ思わず声を上げた。東町(現在は女鳥羽一丁目)にある実に不思議な看板で、ここを通る度に首を傾げ、親に尋ねた記憶もあるが、納得できるようには説明してもらえなかった。今の私に解らないのだから、私より若い当時の両親に解るわけが無い。
昔は確か履物屋だったと思う。良く見ると電話の局番が一桁で、かなり前に松本の局番が二桁になった事を考えると、30年以上前から塗り直していないのだろう。ちなみに1962年以前は局番が無かったから、それ以降であるのは確かだ。人からは呆れられたり、迷惑がられるがこういう記憶力だけは良い。
「発狂的 大馬鹿安の店」とは言うものの、それほど安くは無かったはずで、買い物をした記憶も無い。結局何の看板なのか良くわからず、単に目立ちたいだけのような気がする。店をたたんでも降ろさないところを見ると、由緒ある看板に違いない。どなたか真相をご存知無いだろうか。電話して聞いてみようかな。
2005.7.20追記
これだけ目立つ看板なのだから、ネット上で情報が無いはずがないと思い、「大馬鹿安の店」でサーチしてみると5件ほど引っかかった。全国的に有名な看板なのだそうだ。履物店であった頃の写真も載っている。しかし残念ながら看板の由来は誰も知らないようだ。
ハチに刺された―ような気がする (2005.11.8)
樹木の下で首筋に激痛が走った。思わず手で払いのけたが何やら虫のようなものを潰した。慌てて事務所まで戻り、とにかく毒液を排出しようと吸引できそうな物を探す。注射器は、真空ポンプは、こう言う時に限って見つからない。家庭用の電気掃除機(バキューム・クリーナー)でも、しないよりはましだろうと刺された所に押し当てた。考えてみれば掃除機の負圧なんて高々200mmHg程度だろうから、気休めにしかならないかも知れない。
アナフィラキシーショックを起こすと、震えが来て寒気がし、呼吸困難になるらしい。ちょっとでも変だったら救急車を呼ぶつもりで、10分ほど吸引した。全身症状はまったく出ず、これは大丈夫とやっと落ち着き、とりあえず手直にあった薬「キンカン」を塗り、一時間半ほど経過した帰り道、薬局で抗ヒスタミン軟膏を購入して塗っておいた。その夜は結構痛みが残ったが、翌日はただ単に痒い。猛烈に吸引したからかも知れぬ。
実を言うと刺される前、地面にあるハチらしき物の巣をちょっと刺激してしまった。一匹威嚇に近寄ってきたので、「ゴメン、ゴメン」と静かに立ち退いたのに、その一匹はかなりしつこく、しばらくの間近くを哨戒していた。やがて羽音も聞こえなくなり、こちらもすっかり忘れて再び巣の方向に近づいた時にやられた。私の服のどこかにくっついて、様子を見ていたとしか考えられない。ハチと言うものは集団行動するものだとばかり思っていたが、一匹決死隊を出す事もあるらしい。しかし、こっちが忘れるくらいだから、あっちも忘れてくれても良さそうなものだ。 スズメバチなら二度と居そうな場所には行かないが、小型だったため油断した。
ところで本当にハチだったかと言われると、断言するほどの根拠は無い。木の上から毒虫?が落ちてきて、ブスリとやったのかも知れない。病院に行くにしても何にやられたかはっきりしないのでは、お医者さんも困るだろう。蛇にかまれたとき、それを捕まえて病院まで持って行く猛者がいると言う。これ以上確実な証拠は無いけれど、お医者さんにとっては迷惑な話だ。ちなみに日本でハチ刺されによる死者は年平均40人、毒蛇による死者は10人位だそうです。
葉がピンクの躑躅(ツツジ)? (2005.11.2)
ツツジが投売りされていたので、10本程買った。姿は乱れているが、そんな事は後で何とかする。ツツジは良いとして、何ツツジか気になるところ。店員さんに聞いてみた。
「ところで、これ何ていうツツジ?」
ちょっと調べて、
「キリンツツジ、葉がピンクになるの」
「へぇ―、春先に色が着くの?」
「そう」
その状態を想像しながら私は浮き浮きしながら家に帰った。春に葉がピンクになるツツジなんて見たことないぞ。とめどなく興味が涌いてインターネットでその写真を探しあてた。??? 何の変哲も無いただのツツジじゃないか。しばらく写真を眺めていて噴出してしまった。
店員さんは「花、ピンクになるの」と言ったらしい。春先に色が付くのは当たり前だ。
東北の年配者(と言っても私くらい)は、鼻濁音で発音する人が多く、未だに聞き取れないことが多い。ちょっとの間だが、夢を見させてもらった。
躑躅という漢字は難しい。手書きなら絶対に書かない。榴ヶ岡(ツツジガオカ)と言う地名もあり、これも読み難い。学会?では植物の和名はカタカナ表記となっているようで、私のように漢字を知らない人間には大いに助かるが、ちょっと風情が無いし、名前から実物を想像し難い。名前の由来を調べてみるのも、面白いかもしれない。屁糞蔓なんて漢字にしてもカタカナにしてもどうしようもない名前は、何処のどなたが命名したのだろう。
森づくり-2 何をどう植える? (2005.10.10)
拙宅の利用価値の無い土地、森でも造るしかない傾斜地は約200坪位だろうか。密稙させようとすれば坪当り一本としても200本は必要になる。宮脇方式(後述)では、一平米当たり3本だから、1,800本以上と言う事になる。とてもこれだけの苗木を用意できるはずもないし、用意できたとしても植える暇が無い。自分の寿命を考えれば、十年計画のように悠長な事を言っている余裕はなく、一気に(といっても数年)やってしまわなければ生きているうちに楽しめない。
仕事を持っている身では手間をかけて大事に育てる事も難しい。要するに手間隙かけず、一気にやってしまう方法があればよい。さて、どうしたら良いだろう?
1. どんぐり等の種を直蒔きする。
2. 種を箱蒔きし、発芽したものを希望の場所に移植する。
3. 箱蒔きで発芽したものをポットに移し、1、2年育成して、植樹する。(宮脇方式)
確実なのは3だが、どう考えても手間がかかる。あちこち移動させ、ポット苗の水やりも必要で、忙しいと忘れる可能性が高い。定位置に移植する時も苗が大きくなっているから、それなりの穴を掘らねばならず、労力と時間がかかる。また、ポット苗は直根がループ状になるらしく、拙宅のような傾斜地の土留めには効果が弱い事も予想される。
直蒔が一番手っ取り早い。自然の中ではすべてこの方法で世代交代を繰り返しているのだから、活着率は低いかも知れないが、上手く行かない訳が無い。200個程度の種なら何とか蒔けるだろう。発芽率が30%でもかまわない。問題は雑草との競争に勝てるかと言うことで、多少は人間のサポートが必要だろう。20本程度なら何とかなりそうだが、その辺が限界かも知れない。とにかく初年度は上記三つの方法で、テスト栽培してみようと思う。
何を植えるか、土留めのためにブナ科を中心にするつもりでも、何を何処になんて面倒な事を考えていると時間ばかり経過する。気に食わなければ後で伐採すれば良いし、いつかは間伐も必要になるだろう。そのとき何を残すか考えれば良い。それを考えるのは自分ではないような気もするが、とにかく一刻も早く木で覆ってしまいたい。
と言ってもやはり自分が好きな木を植えたい。ブームの感があるブナは、赤く紅葉せず黄色になって枯れるだけだから、数本あっても良いが秋はコナラの方が綺麗だと思う。カシワは枯葉がいつまでもぶら下がり、それで縁起が良いとも言うらしいが、見た目からいただけない。成長が早い白樺やハンノキは、時間をかけずに森にするには良さそうだが、寿命が30年程度だとの事で、次世代に迷惑をかけるから没。ブナ科の他は葉がみずみずしいカツラも良いし、紅葉を楽しむならやはりカエデの類か。
宮脇方式
日本一木を植えた男、横浜国大名誉教授宮脇昭氏が提唱する方法。その土地にあった木々をポット苗で育成し、一平米当たり3、4本、数種類を混ぜて植樹する。3年程度除草等の管理をし、その後は放置、自然淘汰に任せる。自然界では300年程度かかるその土地本来の森が、30年程度で完成する。
非常に魅力的な方法だが、上記のように家庭で完璧にやれるものではない。また、本物の森を造りたいわけでもない(この規模では不可能)。しかし、森造りと言う観点では非常に参考になった。
宮脇氏は植樹のカリスマ的存在で、影響力が大きいだけに批判や反論もあるようだ。しかし、世界の山野を駆け回った現場第一主義から発せられる言葉に、矛盾は感じられない。本物だと私は思う。
森づくり-1 どんぐり拾い (2005.10.10) ―森を作りたいの続編―
表題の「つくり」にどの字を当てるか悩む。「作り」、「造り」、「創り」の順に大規模になるようで、「創り」にするほど身の程知らずではない。実際のところ「作り」規模だが、夢を持って「造り」としよう。平仮名で「つくり」の方が万能かも知れぬ。
なぜか「造り」は違和感がある。「森づくり」、「森作り」、「森造り」でサイト検索したところ、それぞれのヒット数は約30万件、1万5千件、「造り」に至ってはたった400件しかない(その中にこの拙文もあった)。 どうも「森づくり」が一般的らしいので、本文も「森づくり」に改題することにした。(2005.11.3)
来年から始めるつもりの植林準備として、犬の散歩をかねてキリスト教墓地まで行った。以前からブナ科の木が多いと目星を付けていた所だ。 東に開けた斜面にあるキリスト教墓地は、お寺の墓地のような陰鬱さが無くてよい。墓石も洋式の横長の物が多いが、線香立てがあるのが日本らしい。
上段にはラ・サール会修道院、オタワ修道会のようなキリスト教組織の墓がある。異国の地に骨を埋めた人の名前が多く刻まれている。夭死とも言えないような乳飲み子のクリスチャンネームが、1945から46にかけて異常に多く見られる。戦後はこれほどまでにすさまじい時代だったのかと、思いを新たにする。
それはさておき、どんぐり拾いには最適な場所だ。あまり人も来ないので、どんぐりは拾い放題。コンクリートの上では箒で集められるくらい。20分ほどで200個近く拾えた。コナラ、カシワだったと思うが、どんぐりを見ただけでは同定できない。純林を作るわけでもないから、種類はどうでもよい。大きくなって驚くのも一興。落ちていずれは朽ちる物だが、頂くのだから、御霊安かれと丁重に挨拶をして帰った。
水に浮かぶものは虫が食ったか、乾燥しすぎているため発芽しないらしい。何と80%浮き上がってしまった。非常に歩留まりが悪い。楽をしてコンクリートの上のものを多く拾ったのが失敗だったようだ。考えてみれば当然で、土の上に直に落ちた方が乾燥しないだろう。結局使えそうなのは約40個だった。どんぐり内部に巣くう虫を殺すために、30時間以上水没させろと言うことだ。浮いてしまった物も一緒に水に浸すと、虫が出てくる、出てくる。始め水中でうごめいていた虫は、やがて動かなくなった。娘はかわいそうと言うが、こんなものは生かしておいてもろくなことは無い。さて、本当に発芽して木になるのだろうか??
左写真、左より家のコナラから最適な時期に取ったどんぐり、100%水に沈んだ : 墓地から拾い、水に沈んだもの : 墓地で拾い、浮いている物(ダメもとで撒いてみるつもり) : 寒ツバキの種 : 近くから拾ってきた鬼グルミ
右写真 虫が出てくる、出てくる。
2005.10.11 追記
採取して三日と経たないのに、水分をたっぷり吸わせたせいか、家のコナラのどんぐりからもう根が出てきた。これは期待が持てそうとうれしくなる。ぐずぐすしていられない。早く埋めなければ。
2005.10.16 追記
数値で現される事象に遭遇すると、分析してみたくなるから我ながらおかしい。一週間後の発根率は、家のコナラ67%、墓地で拾って沈んだ物18%、同浮いたもの0.6%。わずかではあるが、浮いたものでも発根するようで、適当に蒔いておいた。驚いたことに、未だ生きている虫が這い出してきた。30時間では少ないようだ。二昼夜にしてみよう。
少しだけどんぐり拾いのコツが判ってきた。山道のように下が土である程度固く、その上に落ち葉が覆いかぶさっているものは、落ち葉を除けるだけであまり乾燥していない程度の良いものが見つかりやすい。地面がやわらかく堆積物の多い林の中は、見つけるのが非常に困難。コンクリートや、アスファルト上に落ちたものは乾燥が激しく、やめた方がよい。