雑談室 2007年2月~
耐震診断を受ける (2007.12.2)
仙台市で実施している戸建木造住宅の耐震診断を受けた。自己負担額約18,000円で市の補助が9割だそうだ。市が耐震診断や耐震補強を助成しているのは、大地震で家が倒壊し、救助、消火、瓦礫の撤去にかかる費用を考えてのことだろうが、こう言う事は大いにやってもらいたいものだ。(私が公の助成事業に賛同するのは、きわめて稀) 数年前宮城県にたて続けに震度5クラスの地震が襲ったときは申し込みが殺到したのに、昨今は低迷しているらしい。喉元過ぎればなのだろう。
我が家は1976年築で、1978年の宮城県沖地震を経験している。屋根瓦の10%位が落下し、雨戸の戸袋が落下し、モルタル壁の数箇所にクラックが入り、室内は足の踏み場も無い惨状となった。新築したばかりの家がかなりの被害を受け、両親はかなり落胆したようである。次の宮城県沖地震の被害は最小限に抑えたい。今までの地震でだいぶ揺すられているから、今度は潰れるかも知れない。今まで大丈夫だったのだから今度も大丈夫と言う考え方もある(確率や疲労を考えればこれは根拠が無い)。少なくても内部の人間が圧死する事は避けねばならない。
家の調査は床下、天井裏すべて調査する徹底的なものだった。 リフォームも考えなくてはならない時期に来ているので、軽い気持ちで申し込んだが、診断申し込み低迷の原因がわかった。気心の知れない建築士さんに来られ、家中全部、寝室も、トイレも、納戸もつぶさに見られるのでは躊躇する。ちょっとやそっとの掃除では済まないだろう。引越しするつもりで片付けなければならない。幸い親しい建築士さんを希望し、その方に来ていただく事ができた。
8時間ほどの調査と持ち帰ってからの計算等が済み、報告書の説明に来てくれた。計算基準となる床下や天井裏の詳細な写真も添付されていて、その写真を貰えるだけでも調査して良かったと思う。評点1以上なら阪神淡路地震クラスでも、倒壊する可能性が極めて低いとされ、私は0.8位かと想像していたのに0.5と言う結果が出て少々驚いた。5箇所の壁、土台の補強、屋根材の変更の改修工事で評点1.2になると言う。予想コスト450万円。本格的に改築してしまっても良い金額なので、どうしたものか検討中というところである。
宮城県沖地震は平均39年周期で、前回から29年経過している。後10年安心かと言うと、2年前のように突然震度5が来るからそうとも言えない。2年前は宮城県沖地震のアスペリティー(固着域)の1/3が滑ったそうで、それならば次回宮城県沖地震は1978年より軽くなるだろうと個人的な希望的観測はあるものの、最悪の事を考えてできるだけ速やかに対策しなければならない。
内部のリフォームを兼ねた補強はじっくり考えるとして、屋根材の変更は速やかに行いたいと思う。屋根材を換えるだけで格段に評点は良くなるそうだ。屋根の上には数トンの重りが載っているわけで、素人が考えても潰れやすい事は想像できる。特に吟味した重量級の瓦だから、普通の家より重いかも知れない。昔の在来工法では上から重しで押さえつけ、柱、梁が歪まないようにしたようで、現在の耐力壁で抑える工法とは異なる。
地震で家が潰れそうになり、慌てて外に飛び出したら頭上から瓦が落ちてきたなんて事では安全な場所が無い。家族には外に飛び出さず、安全そうな部屋に逃げ込めと言っているのだが、それも家が潰れない前提での話。一生の間に火事に見舞われる確立より地震に見舞われる確立の方が5倍?ほど高いそうだ。備えあれば憂い無しとしておきたい。
振幅や振動数が限定されるなら、最小の補強で済むだろうが、地震の規模も振動方向も地形効果も良く分からない以上、どんな振動にもびくともしない最大の補強をしなければならない事になる。評点を算出するためどのようにプログラムされているか興味のあるところだが、重心や慣性モーメントも算出しているようで、それなりに信頼の置けるものなのだろう。
名古屋-松本-長野 (2007.10.30~31)
愛知県での仕事の帰り、ちょっと回り道をして松本、長野を周った。信州の紅葉は色が濃く、色調豊か。
安曇野 大王わさび園
カメラのISOスピードレートの設定を間違えたのが幸いし、ソフトな画像になって雰囲気が出た。
松本で殺人事件が起きたとき、キーパーソンが「ちょっとそこまで」、と言って出かける場所。車だって30分はかかる。車中で話がついているだろうに。仙台の殺人事件で松島か秋保温泉まで出かけるのと同じ。ご苦労様。JR三大車窓の一つ、姨捨駅から善光寺平
視界が突然開け、棚田越しに沃野が広がる。車窓全面に展開するこの景色は圧巻だ。
姨捨駅はスイッチバックの駅としても有名。各駅停車の電車は必ずバックする。
6分停車の間に、電車を降りて写してきた。街の灯が輝くこの明るさで、手持ちで良く写せたと思う。前方小高い丘が川中島の合戦で上杉謙信が陣を敷いた妻女山。
「信州旅行 松本-長野-軽井沢」へjump (2006.6.16~19 2007.11.5改定公開)
昨年ちょっと豪華な信州旅行をした。個人的な記述が多く、未完だったため公開を見合わせていましたが、再訪したのを機会に改定し、公開いたします。
勧誘電話撃退マニュアル (2007.11.4)
仕事をしているときに、はたまた見逃せないTV番組を見ている時に、どうでも良い勧誘の電話がかかってくる。「要りません」と言ってガチャンと切ってしまっても良いわけだが、その程度の人品と思われるのも嫌で相手をしてしまう事になる。いちいち断りの口実を考えるのも面倒なので、マニュアル化した。
・家庭教師
「知り合いの○○大学の学生さんに頼んでいます」
「今の成績で十分です」
相手が学生ならちょっと話を聞いてやり、からかうのも楽しい。自分が如何にできない子の成績を上げたか熱く語る輩には、「うちの子、そんなに馬鹿じゃないよ」と言ってやった。
・予備校、学習塾
沈んだ声で、「うち、就職ですから」
地域で一番難しい選抜試験のある予備校のコースに行っていると言う手もあるらしい。
・お墓
「持ってます」(事実)
・土地、マンション、金融商品
「家のローンに追われ、余裕は全くありません」
「いえ、自己資金0で始められます」
「それなら、あなたがやれば良いでしょう」
・家のリフォーム
「親戚が工務店をやってますから」
・保険
「親戚が代理店をやってますから」
・省エネ機器
「私、専門家なんでね。その手の物で元を取るのに何年かかるか十分承知しています」
どういう原理か、元を取るまでの耐久性を保証するか、と質問攻めにすればたいてい答えられない。
・電話会社、プロバイダ (これが意外と面倒)
「IT環境を組みなおす時間が今無くて、そのうち暇になったら考えますよ」
・奥の手 ただし、あまり愛想良く電話に出てしまった場合は使えない。
「父も母も外出していて分かりません」
「いつお戻りですか?」
「海外に行っているので、はっきりしませんが一月か二月位です」
こういう笑い話はBlogの方に書けば良いのだが、ちょっと残しておきたいとも思いこちらに記述した。
老人病院にて - 何のための医療行為か (2007.10.4)
88歳になる私の母親は認知症が進行中で、おまけに人工透析を受けている.人工透析を受けるようになると末期が近づいた証のように思い込んでいたが、体調ははるかに良くなり認知症の進行も停滞し、医学の進歩に感動すらおぼえる.
ところが透析にもリスクが伴い、8月中旬にシャントが潰れた.(シャント:shunt 静脈と動脈を体表面近くでバイパスさせ、透析の針-カニューレ:kanüle-を差し込む) そうなると足の動脈から施術しなければならず、歩くことも上体を起こすことも困難になる.シャントを復元するか、作り直すために、手術しなければならない.
透析を受けている老人病院から、腎臓の専門病院に転院し、復元を試みることになった.担当のドクターから、「カテーテルで内側にバルーンを入れ血管を拡張するが、高齢のため血管に弾力がなくなり破れる可能性もある.血栓を溶かす薬によって脳出血が起こりやすくなり、死亡例もある.年齢の事を考えるとハイリスクであまりやりたくない」とのインフォームドコンセントがあった.当然の事ながら、「まだ家族とのコミュニケーションも十分できるし、いつもは元気に暮らしているので何とか元の生活が続けられるようお願いします」と頭を下げた.
「ご家族がそういう気持ちなら、最善を尽くしましょう.立会いに来ない家族も居るんですよ」.本心を打ち明けてくれるドクターなら信頼できると思った.肉親の生死(すぐ死ぬことは無いが)が結局医者任せだとはいえ、何もせずに預けっぱなしの家族もいるのにはショックだった.お医者さんだって人の子、本当に喜ばれる仕事なら一生懸命やってくれるはず.
幸い拡張術は成功し、三日で元の透析を行う老人病院に戻れた.三日間は4人部屋で回りは母よりも二回りも若く、一人寂しくしているかと思いきや、いったいどういう話をしたのか、「やさしいおばあちゃんで、私らも歳をとったらあんなふうにならなきゃいけないと話してたんですよ」と言われた.昔から回りと合わせるは上手かったが、論理的思考ができなくなってもそれをやれるとは思わなかった.天性の才能と言うものなのだろうか.こういう性格は得だ.
専門病院は老人に特別の対応をしないから家族の負担も大きくなるが、老人病院はかなり任せて置けるので、はるかに楽になり、一日一回顔を出せば満足してくれる.
年老いて物も良くわからなくなった老妻を、一日中世話をしているおじいさんがいた.とてもあんな風には出来ないと思う.人生の黄昏にこれは寂しいと思う.反対にほとんど来ない家族の何と多いことか.
カーテンで締め切られ、生きているか死んでいるかさえわからないような、すべてラインでコントロールされている患者さんも居る.家族もほとんど来ない.感情はあるのだろうか.大切な家族も判らなくなったのだろうか.感情も無くなったのなら確かに来ても仕方ない.
こんなことを書いてはいけないのかもしれないが、このように尊厳までも喪失している人を、ただ単に生かしておく事で、幸せな人はいるのだろうか.いったい何のための医療行為なのだろう.
母は約6週間入院し、めでたく退院した.ところがその間ベット上で生活したため、ほとんど歩けなくなってしまった.現在ケアハウスでリハビリを行っている.まったく何度こんなはらはらする目に合わされたかと思うが、その度に復活する生命力には脱帽せざるを得ない.
飛行機事故から飼い主を救った名犬物語 (2007.9.4)
2006年8月27日早朝、アメリカ合衆国ケンタッキー州レキシントンのブルーグラス空港で、デルタ航空ボンバルディアCRJ-100型機が滑走路を間違え、墜落炎上し乗客乗員49名の方が亡くなると言う痛ましい事故が起こりました。この事故から愛犬が飼い主を救った物語です。
ケンタッキー大学で6年間研究を続けていたKさん、母校T大に職を得て、日本に帰国することになりました。ところが一つ、問題がありました。日本との往復にはいつもアトランタ経由のデルタ航空を使っていたのに、愛犬シュリを日本に連れて行こうとすると、デルタ航空の飛行機では犬を入れる荷物室に空調設備が無く、高空の冷気に愛犬をさらしてしまうことになるのです。
日本の航空会社では荷物室にも空調が入ることがわかったため、アトランタ経由を取りやめ、ワシントンD.C.までわざわざ車を走らせ、ちょっと割高な全日空機で帰国しました。シュリが居なくてデルタ航空を選んでいれば、間違いなく事故機に乗り合わせていたそうです。
犬を飼いたいと動物保護施設へ見に行くと、子犬でもなく、風邪で目やにがたまってるし、咳をするし、元気が無いし、とても引き取り手が無さそうな感じだったそうです。もし連れて帰らなければ誰にも引き取ってもらえず、きっと処分されるに違いない、それが可愛そうで連れ帰ったそうなのです。
これは実話です。ちょっと出来過ぎた話なのですが、本当にこんな事ってあるのですね。ほのぼのして心温まる話だったので、紹介させていただきました。
ケンタッキー州レキシントンのブルーグラス空港は、ダウンタウンとの連絡バスも無く、客待ちのタクシーもほとんど無いのどかな空港で、ここに降りたら誰かに迎えに来てもらうか、レンタカーを借りるしかありません。
6月にここからシカゴ行きの飛行機に乗りました。隣には陽気な農家のおばさん。いろいろ話しかけて来るけれど、私の左耳はちょっと難聴で騒々しい飛行機ではちっとも聞き取れません。仕方なく私は英語がほとんどわからないからゴメンと言ったら、日本語で話しかけて来ました。参りました。日本語もほとんどわからなかったのですが。
長崎原爆の日に (2007.8.9)
33年前の夏、私は長崎で3週間過ごした。ちょうど今日、8月9日11時過ぎ、何も意識せずにいた私の耳に、街のあらあゆる鐘の音、停泊するすべての船舶の汽笛が鳴り響いた。それは祈りと言うより、反核のシュプレヒコールのようであり、この街にとって原爆は過去のものではないことを肌で感じた。
その後2度ほど長崎を訪ね、少し俗化されたと思いつつも私は今でも長崎の街が好きだ。小奇麗な店の裏側の、古びた石畳の道をそぞろ歩けば、この街が背負ってきた歴史の重さを感じる。私はこの街を訪れるすべての日本人、否、世界中の人に、原爆資料館だけは見て欲しいと思う。ただそれだけ。
ジェットコースター事故 (2007.5.19 8.26改訂)
5月5日の子供の日に、大阪エキスポランドのジェットコースタ車軸ボルト締結部が破断し、転覆して若い女性が亡くなると言う痛ましい事故が起きた。「あってはならない」「考えられない」事故とマスコミは論調するが、危険を認識しないまま絶叫マシンの過激さがエスカレートし続けるなら、いつかこの種の事故が必ず起きると私は感じていた。何の疑いも持たずにマシンに命を委ねられるのが不思議でならなかった。それを楽しむなら、それなりのリスクを自覚した方が良い。
私が絶叫マシンが危険だと感じているのは、次の理由による。
破断部は軸に段が付いている部分で、力が最も加わる(応力集中)場所であり、繰り返し加重によって金属疲労が起り壊れ易い部分と機械屋なら見当が付く場所である。報道された構造を見ると、レールの上下を4個の車輪で挟み込み、横方向保持の車輪が一個付き、これら5個の車輪がワンユニットとなって揺動軸に結合されている。このユニット左右一対で一台の車両前部をレールに拘束し、車両後部は次の車両と連結されているので、車両一両は三点で保持されている。その揺動軸が抜け左側のユニット、5個の車輪を一度に失ってしまったのだから当然大事故になる。左右、上下の加速度に捩れも加わる車両の保持方法としてよく考えられているとは思うのだが、軸の一つが折ただけで車輪5個すべてを失うと言うのは、疑問が残る。一部が壊れても最低車両姿勢を維持できるバックアップを考慮しなかったのであろうか。・無人運転: 係員が搭乗していたなら、事故前に起きていたとされる異常振動から不具合を察知していたであろう。
・特殊な乗り物: 車、鉄道なら普通と違う乗り心地に気付き、恐怖感を抱くはずだが、恐怖感を抱いてもそれが当たり前と思われ不具合が見過ごされる。
・特殊な環境: 事故前に乗った客が「揺れる」「振動する」と係員に訴えても、真剣に取り合うか疑問。
・一品生産: 先例が無い。何が起きるかわからない。メンテナンス情報が共有されない。
・露出: あえてスリルを味わえるようにしているため、万一の場合体を保護する物が無い。
・ノーブレーキ: 車両側にブレーキが無い。異常に気付いても止める手段が無い。
・係員の意識: 乗り物を運転しているという自覚を持っているのだろうか。自動機械のスイッチを入れているだけのような気がしてならない。
設計屋の端くれとして擁護すれば、この設計者は強度計算もしたし疲労破壊についても考慮していたと思う。軸の交換時期を8年と指定し15年で壊れている事を考えても、もう少し余裕を取りたいところではあるが妥当な指示である。
絶対壊れない機械、システムなんてものはあり得ない。 何とあの安全神話を確立した新幹線が、車軸折損事故を起こしていたことを最近知った(高橋団吉 「新幹線を作った男 島秀雄物語」 2000年 小学館)。開業3年目、豊橋付近を走行中に車掌が最後部車両の異音に気付き非常停止させ、低速で数百mバックして豊橋駅で全乗客を降ろし浜松工場に回送し分解しようとしたところ、車軸が跳ねるように落下したらしい。初期故障が頻発していた時期だったために新聞紙上では2行程のベタ記事にしかならず、一般にはほとんど知られる事は無かった。
国鉄、メーカー(住友金属:台車、車輪軸関係では世界のトップシェア)では徹底的に原因究明が行われ、製造中の停電事故が熱処理に影響したことが判明し、その後の対策によって二度とこのような事故は起きていない。さらに驚くべきことは、台車の設計自体に、万一折れた時のことを考えて、脱線防止策を施してあったらしい。文章だけでは良くわからないが、車軸が折れても短時間なら車輪の位置が大きくずれないような仕組みがあったに違いない。これだけの思想なくして名設計足り得ない。
事故が起ったときのフェールセーフの重要性をこれほど物語っている事例は無いだろう。たまたま事故が起こらなかったから安全なのではない。安全性を極限まで追求し、万一のバックアップまで用意し、小さなトラブルの教訓を積み重ねて行ったからこそ、世界に名だたる安全システムを構築できたと言ってよい。
確かに定められた整備を怠った運用者に一番の責任がある。しかしどのような使われ方をしても、最悪の事態だけは避けられように努めるべきであり、車輪が脱落してもレールから外れないバックアップのシュー(そり)を設けておけば転覆はしなかっただろうし、車輪ユニットも軸の片側だけで保持する片持ち構造ではなく、軸の両側で支えていれば一気に支えを失わずに済んだであろう。昨今はハイテク機器が安価で入手できるから、すべての車両に加速度センサを取り付け、振動を常時監視にすれば些細な前兆も見逃さない事も可能だ。
新幹線車軸折損事故の直接の功績者は、停止させた車掌であることは疑いない。人間が一番信頼の置けるセンサであることは今も昔もそれほど変わりない。ジェットコースターの怖さは、上記の通り無人運転だと私は思う。東京で無人運転しているゆりかもめも最近は慣れたが、開業当初先頭車両に乗ってみると、運転手が居ないのをひどく不安に思った。
それにしても事故の度に大げさに取り上げるTVワイドショーのコメンテーターの不正確なコメントは何とかならないものか。怒るのはわかるが知らないことまで憶測で言って欲しくない。
曰く「乗用車は10年毎に車軸を取り替えている」 そんな話聞いたことがない。
曰く「破壊検査をしていないなんてとんでもない」 非破壊検査という方法を知らなかったか、分解検査と破壊検査を間違えていないか? 試作品かテスト機をを破壊することはあっても、製品を一つ一つ破壊していたら永久に製品はできない。
パソコンが壊れた (2007.5.19)
ちょっと前の話になるが、3月上旬突然パソコンがフリーズした。再起動しようにも立ち上がらない。3月上旬と言えば年度末の事務処理、確定申告で一年で最も忙しく、最もパソコンを必要とする時期である。本当に青くなった。予備のパソコンを使えばその日の処理は何とかなる。一番の問題は以前バックアップしてからのデータを失うことである。半年分くらいはあるから無理やり換算すれば数百万円の損害になってしまう。パソコンはどうなってもよいからとにかくデータだけは救いたい。
二十数年パソコンを使った経験から一番怪しいのはハードディスクだ。すぐにハードディスクを買って来て交換した。まったく変わらず同じ症状。古いハードディスクをUSB接続で予備のパソコンに繋ぐと、幸いなことにすべて読めた。本当にほっとした。
これはもう素人の手に負えないなとメーカー修理に出すことにした。4年前のパソコンだから修理に4万円以上出すなら新品を買った方が良い。メーカー直販(エプソンダイレクト)だったのでサポート窓口に電話すると、20分ほど待たされたが、翌日指定業者が集配に来て驚いたことに4日目には返送されて来た。もっと驚いたのは何と無料だった。マザーボードの不良で丸ごとボード交換してくれた。時計がかなり狂っていたからコンデンサーの容量が抜け、タイミングを掌るクロック回路が不安定になったのではないかと想像している。直販というとアフターケアの不安はあったのだが、これならショップで購入したより手間はかからない。
20年以上前から管理したパソコンは10台以上になろう。このうちハードのトラブルで修理に出したのは2台。一台は超大手メーカー製。どこ製であろうと部品まで内作しているわけではないので、壊れることはある程度想定しておいた方が良いと思う。
こんなわけで事なきを得たのだが、こんな脆弱なシステムに、飯の種である事務処理から写真などの思い出までも委ねてしまう怖さを痛感した。バックアップと予備パソコンの必要性を痛感した次第。
「千の風になって」、 新井満、 「月山」 (2007.2.17)
この連想が瞬時にわかる人は、読書家か、よくTVを見ている人だろう。今年になって秋川雅史氏の歌声でブレークしたこの曲、多くの人の心に染み渡った。黄泉の国へ旅立った家族や友を忘れられない者にとって、亡き人を弔い残された者を労るレクイエムそのものに感じられる。
聞きやすく懐かしささえ感じるメロディー、訳詩、作曲新井満と知って合点がいった。森敦の芥川賞受賞中編小説「月山」に、新井氏が曲を付けたLPのアルバム、組曲「月山」(廃盤)は私のお気に入りで、懐かしさを感じたのは当然かもしれない。検索してみると新井満も「千の風になって」をリリースしている。早速200円も払ってダウンロードして聞いてみた。う~ん、正にこの声、秋川雅史の朗々たるテノールも良いが、新井満の語りかけるような歌声も捨てがたい。私はバリトンだからテノールの声域とは合わず、秋川さんの声には合わせられないが、新井さんの方はぴったり合う。おまけにありがたい事にハ長調だ。
久しぶりに、本当に何年ぶりかでレコードプレーヤーの電源を入れ、何十年ぶりかでLP「月山」に針を置いてみた。30年昔、TVも持たず毎日レコードだけを聞き、一人感傷と共に暮らしていた頃が懐かしく蘇る。
感動冷めやらず小説「月山」を引っ張り出し、その勢いのまま一気に読んでしまった。あらすじは覚えている。しかし今回改めて読むと、30年前には感じられなかった機微がありありと浮かび上がる。「未だ生を知らず、焉ぞ死を知らん」と言う孔子の言葉が中表紙に挿入された意味を、当時は全く理解できなかったのに、今は朧気ながら解るような気がする。もっとも20代の若者が、「未だ生を知らず」に頷いている方が滑稽かもしれない。独特の文体で初め少々戸惑うが、次第にそんな事は忘れてしまう。日本文学史上最高とも言われる雪山の描写と共に、山々の紅葉と、散り敷いた落ち葉の描写は正に絶品。
「昔読んだ本をもう一度読んで御覧なさい。新たな感動がある」と言われるが、同じ感動を再び味わう以上の楽しみがありそうだ。いくらでも時間があった学生の頃とは違い、小説をじっくり読んでいられないのが残念なのだが。
何の本で読んだか忘れたが、森敦に「小説を書いて御覧なさい。あなたならきっとできる」と勧められた新井満氏は、その後「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞している。本当に人生は出会いだと思う。
「月山」は映画化もされた。TVで何となく眺めたところ、陰鬱な映像と展開はいただけなかった。私は読後感として清々しささえ感じた。気に入った文学作品が映画化されたら、絶対に見ないほうが良い。自分が作り上げた小説の中の世界が微塵に崩壊してしまう。「風立ちぬ」、リメーク版の「潮騒」はその最たるもの。
偉そうな事を言っても、映画だけ見て本は読んでいない物も多く、例えば「風と共に去りぬ」「ドクトル・ジバゴ」は、本で読む元気が無い。楽しみを放棄しているのかも知れないが、それはそれで良しとしよう。