雑談室 2006年7月~12月


  森づくり-3 どんぐりが無い (2006.11.7)
 今年もどんぐり拾いの季節がやってきた。去年は友人の助力もあり200個あまり拾い、そのうち使えたのが約半数。発芽したのが80%、そのまた半分(計算すると40本になる)が現在も成長している。最も成長の良いクヌギは40cmほどになったが、草に埋もれてどこかへ行ってしまったり私が水遣りをサボって枯れてしまった物もある。
 簡単に多量のどんぐりが調達できるキリスト教墓地に行って見た。もちろん昨年亡くなったラ・サール会のフィリップ先生に挨拶するのが先。去年は目をつぶってでも拾えた場所にどんぐりが全く無い。コナラ等の木を確認すると一枝に一個くらいしか生っていた形跡が無い。仙台郊外の公園や雑木林も見たが、去年とは様変わりで一個も拾えない。
 これはおかしいと他の植物も注意して観察した。昨年は頭上からの落下に気をつけねばならなかったクルミも皆無。家のマユミ9割減(数えたわけではないので感覚)、柿半減、ガマズミ壊滅。これでは熊も人里に出てくるのは無理からぬ。
 このような自然界の変化を見聞すると、大異変の前兆だと言う人が必ずいる。芥川龍之介が関東大震災の年に花の狂い咲きを見て、何かが起こると言ったのは有名な話だが、ただ一回の例で総てを推し量るのは危険だと思う。
 何故このような事になったのか考えてみた。それ以前の事は知らないが、去年は大豊作だったらしい。ブナ科の木々は数年の周期で豊作、不作を繰り返すそうで、この作用によって野生動物の数が調整される。食べきれないくらい実った年は種(どんぐり)を遠方の巣まで運んでもらえ、そこで発芽するチャンスが得られるそうだ。しかも同じ属の植物群は豊作、不作が同期するそうで、植物がどうやってコミュニケーションを取っているか誠に不思議。植物学者も未だわからないと言う。今年はどんぐり不作の年だとして、ある群落だけならまだしも日本国内総て同期して不作になるものなのだろうか。
 ところで、家にある3、4年生のコナラの若木は、不思議なことに大豊作。樹高2m程度なのに150個もどんぐりが生っていた。新参者なので年老いた木々のコミュニティーに入れてもらえないのかも知れない。もしそうなら、人間界そっくりだ。
 しかし、ブナ科以外の柿やクルミが不作なのは何故だろう。今年は厳冬で春の芽吹きが遅かったため、毛虫の成長期と花芽の成長期が重なって食べられてしまったのかも知れない。消毒業者は、今年は毛虫が大発生して丸坊主になった木々も多いと言う。そんな事の相乗でどんぐり不作になったのであり、天変地異の前触れだと考えるのは無理だろう。
 同じブナ科なのにクピラカンサ 花も実も美しいが、樹形だけはどうしようもないリは豊作らしい。雑木林を散策するとあちこちに落ちている。家のムラサキシキブ(コムラサキ)やピラカンサは例年並みにたわわに実を付けている。
 何に対してもそうなのだが、興味を持ってしまうと次から次へと疑問が涌いて来て、ますます深入りしてしまう。これだから人生面白くて止められない。 

コムラサキ 紫色の実がたわわ





左 ピラカンサ
花も実も目を見張る美しさなのに、樹形だけはどうしようもない。
おまけに棘がある。

右 コムラサキ
あまり派手さの無い紫だが、これだけ実がつくと遠くからでも目立つ。




11/13追記  出先でシラカシのドングリを見つけた。周辺を観察すると常緑ブナ科のドングリは不作ではないようだ。当地では自然林や里山にこの種の木々は少なく、公園の木や街路樹としてよく植えられている。笑い話のような実話だが、父親が旅行に行き子供のお土産にドングリをたくさん拾ってきた。家に帰って見せると、奥さん「そんなの家の前にいっぱい落ちてるわよ」 確かに新興住宅街に多い。車でよく通る所に、山ほどシラカシのドングリが落ちているところがある。しかし拾えない。幅1mも無い道路の中央分離帯なのだ。

  スケールモデリング国際会議終わる (2006.9.25)
 9月14~16日、千葉県銚子市で行われた第5回スケールモデリング国際会議が無事終了した。学会の話ならScale Modelingのページに書けば良さそうなものだが、学術的な話になるとどうも筆が重く、こちらで軽く書くことにした。
 スケールモデリング、要するに模型を使った研究発表で、国際会議だから会場では当然英語。したがって私一人の手に負える物ではなく、東北大学、吉田・永谷研究室の尽力により何とか共同研究の成果を発表することができた。発表者は院生の清水さん。当人は非常に緊張したようで、こちらもそれなりに緊張した。予想される面倒な質問に対する英語の質疑応答集を夜鍋して作っておいたが、安心していられる発表で私が特に付け加えることもなかった。もっとも年齢と共に図々しくなり、いざとなれば日本語でしゃべっても誰か通訳してくれるだろうと楽観すれば、何も緊張することは無い。
 つまらない会議で暗くなると、かなりの確率で舟を漕ぐ私だけれど、今回は三日間全発表を聞いた。寝なかったという事は内容に対して大きな興味を抱いたと言うことで、英語が達者ならいくつか質問をしたかった。しかし、何時になったら英語で仕事ができるのだろう。余生を英語の勉強についやすなんてのは願い下げ。
 さてさて、そんな私も真骨頂を発揮できるチャンスがあった。二人のケンタッキー大学の先生のためにホテルが気を利かせたのか、最後のパーティーでフォスターの曲をBGMで流してくれた。My old Kentucky Home、ほろ酔い気分でそれに合わせて歌った(日本語)ところ、研究発表以上の拍手喝采。次回までに英語で歌えるようにしておこう。
 銚子の海産物はおいしかった。日頃あの食感が嫌で食べなかった牡蠣も、天然物は生臭さが無く味わえた。魚も新鮮。名物濡れ煎餅もちょっと後を引く味。
 銚子の周りは270度海。その展望が売り物になっても、住んでいる人にはつまらないだろうと思う。海岸沿いに住んだ(富山)時実感した事で、船でも持っていれば別だが行動は90度の範囲に限定され、先月は西に遊びに行ったから今月は東に行こう、と言うことができない。訪ねる立場から言えば、ついでに立ち寄る機会が無い。そんな意味からも貴重な会議だった。
左より
・Dr. Dennis E. Doherty, Department of Internal Medicine, University of Kentucky,
・Dr. Forman Williams, Department of Mechanical and Aerospace Engineering, UCSD,
・平野学長(千葉科学大学)
・斉藤孝三機械科主席教授(ケンタッキー大学)
・小生

  ふじみ野プール事故 (2006.8.3)
 小2の女の子が流れるプールの流水ポンプ給水管に吸い込まれると言う事故が起きた。流体関係の仕事をした人なら誰でも、水や油を急激に止めてはならないと言う事を知っている。運動エネルギが圧力に変化し、水撃あるいは油撃 (water hammer) と言う現象が起り、配管の脆弱部分ときにはポンプまでも破壊する。女の子が配管に詰まった時、おそらく水撃が起きたのだろうと思う。「ドーンと言う大きな音がした」と言う証言がそれを裏付ける。詳しく報道されていないが、かなり悲惨な状況だったのではないだろうか。
 給水口のふたの後ろにはカルマン渦と呼ばれる渦が出来る。風の強い日、電線が鳴るのと同じ理屈で、給水口のふたも渦によって絶えず振動していたと想像できる。だから固定していたねじが緩む可能性もあり、その防止方法を書くつもりだったが、ねじではなく針金で止まっていたのでは話にならない。
 物づくりで一番怖いのは人身事故である。私もそのはしくれとして臆病なくらい気を使う。このプールでも給水口のふたを二重にしなかったのは大きな設計ミスだが、一重で良いとされたとしても私なら取り付けねじは4本ではなく、6本以上にする。管理する立場であったら、ねじの予備は必ず常備しておく。
 高校生のアルバイトは信用できない。10年以上昔、子供連れで遊園地に行ったとき、幼い子供用の遊具の整備が悪く、ヒヤッとする挙動を起こした。親馬鹿だった私は係員に詰め寄ろうとしたが、あどけないポーっとした高校生で機械の仕組みも知らない子が理解できるとも思えず、理解したところで責任ある部署に正確に伝えるなんて事は期待できず抗議するのを諦めた。案の定その遊園地ではその後死亡事故を起こし、倒産した。
 マニュアル不備も問題だが、関係者がもっと想像力を働かせ、いろいろな場合を考えていたら防げた事故だったと思う。
8/4追記 
 6枚あったふたのねじ穴はすべて現物合わせで、一度外した後正規の場所に戻さなかったため取り付けられず針金で固定していたそうだ。これはよくある話で現物合わせが多い建築の世界では、外した場所を明記しておくのが常識だろう。穴位置が全然合わなければ、他の場所のふただと普通気付くはずだ。
 量産品では穴位置の公差(許容できるずれの量)を図面で指示して互換性を維持するのが普通だが、一品物の建築の世界ではあまり行われないのだろうか。このような時、最初に穴を開けたふたを基準として、他のふたは基準に倣って穴を開ければ全部同じ穴位置になる。
 応急に針金で留めるにしろ、ステンレス製の太い針金を使うべきだった。ビニール被覆の針金を使ったようで、これは簡単に錆びる。

注:埼玉県ふじみ野市 いったいどこかと思ったら、上福岡ではないか。10年余隣の川越に住んでいたのでよく知っている。町村合併でなじみの地名が消えてしまった。
 報道でねじをビスと言っているところもある。ねじのフランス語(vis)で、特別な意味は無い。ボルトもナットもスクリュー(screw:正しく発音すればスクルーに近い)もずべてねじ、厚生労働省の「ふたはネジまたはボルトで固定しろ」と言う指示は明らかにおかしい。小さいねじをJIS表記すれば「十字穴つき小ねじ」(この後に大きさ、形状の指定が付く)だが、こんな名前を普通使わない。このため小さいねじをビスと呼ぶ人が多いが、適当な名称は無いものだろうか。


  名物にうまいものなし (2006.7.20 9.25追記)
 けだし名言。地方に行くほどこの傾向は強くなる。むかしある時あるところに行き、土地の人に「○○○を食べて行きなさい。あんなにうまい物、他に無い」と言われ、わざわざその店を訪ね注文した。美味しいと言われ、これほど不味かった物は後にも先にも無い。その地で生まれ育った人の口には合うかもしれないが、他所から行った者には好意的に言っても珍しいだけだ。
 本人が美味しいと思っているならまだ罪はないが、温泉でよく出される山菜、茸尽くしは土地の人でも美味しいとは思っていないのではないか。名産で不味いものを列挙すると、好き嫌いの激しい私の事だからいくつでも挙げられるが、つまらない事で嫌われたくないのでそれは止めよう。
 「名物にうまいものなし」、考えてみれば当然の事で、本当に美味しいものなら全国各地にコピーが氾濫し、どこが発祥かわからなくなる。他の土地で真似ないという事は、誰もそうしようと思わないからだろう。
 当然例外もあり、その土地でなければ食べられない本当に美味しいものもある。この例外を分類すると次のように分けられると思う。(私の嫌いな物も含まれるが一応美味しい名物と言われているもの)

・その土地でなければ採れない、あるいは生産しない
  蟹各種、蛍烏賊(富山湾)、ふぐ、野沢菜(信州でしか作れないと言うが、そうでもないと思う。需要が無い?)
・ブランド力
  博多明太子(材料の鱈子の水揚はほとんど宮城県)、夕張メロン(品質管理の賜物)、讃岐うどん・信州蕎麦(インチキも多そうだ)
・その土地でのみ流通経路が確立している
  仙台牛タン(輸入物だからどこでも条件は同じはずだが、ある程度まとまらないと流通しないのだと思う)
・なんだか知らないが本場がうまい
  長崎チャンポン、きしめん、お好み焼き、キムチ(韓国)
・土地の人の好物、全国的には珍しいので時には食べても良い(食べられない物もある)
  くさや、鯨肉、馬肉、蜂の子
・製法特許、ノウハウによる独占的技術を持っている
こんな事を考えながら名物を食べていると結構楽しい。

 大学の頃、小学校の同級生四人でドライブに行き、帰りに食事をした。みなそれぞれ珍しそうな料理を注文したのに、料理が得意な同級生がカレーか蕎麦だったか忘れたが至極平凡な物を注文した。意外に思ってその理由を尋ねると、
「美味しいか美味しくないかわからないお店では、間違いの無いものを注文することにしている。美味しくないとつまらないでしょ」なるほどこれは卓見。
適当な店に入った時この話を思い出して注文しているが、ここにも例外があり、甘い蕎麦、しょっぱいカレー、脂ぎった中華そばが出てくる事がある。
 本当に美味しいものを食べるとしばらく幸せな気分を味わえる。高い寿司、ステーキ、メロンは当然。安いものでうまいと思った時は本当に儲けた気分。レストランに入る度胸が無く、ウィーンの街頭スタンドで買ったホットドックは美味だった。また行こうかな。

地方でおいしい物に出会った時、追記する事にした。 
濡れせんべい 千葉県銚子名産 ただの湿気った煎餅のような歯応えだが、意外にうまい。軽いからお土産にも最適。ちょっとしょっぱい。(2006.9.25)
明石焼き 姫路に住む友人が店に案内してくれた。東北では入手できないため、大阪に行く度空港で冷凍明石焼きを買ってくる。(2017.10.25)