雑談室 2005年1月~7月


 素人庭作り - 手抜き方法 (2005.7.23)
 私の家は原野の傾斜地を切り開いたため、建物も建てられず植栽にしか利用できない土地が大半である。よそ様から見れば贅沢な広さに見えるだろうが、荒れ野にしない苦労たるや大変なものである。おまけに多少小金のあった時代に作ったものだから、生活が苦しくなると維持費がこたえる。さらに傾斜地で足場が悪く、維持コストもかさむ。
 そこでとうとう私自身が乗り出すことにした。まあ植木屋さんの真似をやってみたかったからできるわけで、興味が無ければ苦痛以外の何物でもない。趣味ともなればこんな楽しい事をお金払ってまで人にやってもらうのはつまらないと思う。
 何冊か参考書を買い込みサイトでも探してみたところ、そこに書かれてある事はほとんどプロ用。悠々自適の人か庭木2、3本ならいざ知らず、通常の仕事と多少多い木を持っている人にできる事ではない。
 庭作りでは剪定や施肥など冬場の仕事が結構多いらしい。しかし、これは絶対に無理。公的な請負仕事が多いと年度末は休日も自由にならないし、おまけに寒く、外に出る気になどなれない(こちらが本音かも)。日も短いから夕方から気晴らしに、というのも不可能。春4月になれば時間も空き心は浮き浮きして来るのに花粉症で外の作業はままならない。
 そこで作業は5、6月に集中してしまうが、一年分をこの時期にやる事になるので当然参考書無視となる。作業に適した季節を知ったところでそれができないのだからしょうがない。植物の成長期だから常識的に回復不能な移植と大枝の切断だけは控えているが、その他の事は何をやっても今のところ元気だ。この時期にやってはならない作業を書いた本があれば大変助かるのだが、そんな便利なものはどこにも無い。
 作業方法も然り。芽摘み、葉透かしは指で、何とかは木鋏で、と書かれていても、そんな事を教科書通りやっていたら一年中庭仕事していなければならなくなる。桂離宮でもあるまいし、10m離れて荒が見えなければ良いと割り切れば、電動工具でバサバサ刈れる。その上鋏を使うより線がきれいに出る。確かに剪定した直後は変なところで切断された枝が目立つが、数週間でわからなくなる。 鋏も結構重労働だ。30分も使っていると手が痛く、皮が剥けそうになり、日曜庭師に電動工具は必需品だと思う。
 こんなやり方で、手抜きのノウハウを積み重ねている。一年後の写真を是非お楽しみに。それまで飽きなければの話なのだが。

 素人庭作り - 松 (2005.7.22)
 今まで母親から「みっともなくなるから止めて」と言われ続けていたが、昔から庭木いじりはやってみたい事であった。母が年老いて来たため、家の事はかなり私の自由になるようになり、とうとう念願の日曜庭師を始めた。
 早速電動の庭木バリカンを買い込み、トリミングを始めるとこれが面白くて仕方がない。特にツゲやツツジはかなり自由に刈り込め、それほど労さずに好みの形になるから楽しい。四角や球は無論のことスパイラル状に刈り込んで遊んでみたが、遠くから全体を見渡すとちぐはぐなので、いずれ統一性を持たせて仕上げて行きたいと思う。
 一般的に、特に注文をつけずに作った庭では、一番目立つ場所に松が植わっている。昨年植木屋さんを入れなかったため、荒れ放題で自然樹形に近づいており、2年放置すると手の施しようがなくなるらしいので、参考書を紐解きながら見よう見まねで作り始めた。みどり摘み(新梢を摘む)、もみ上げ(古葉を取り除く)を手作業でやらなければならないらしい。どうなるかバリカンで刈り込んでみたところ、手を付ける前よりみっともなくなったので、機械化はあきらめた。近所の松を見て回り、何となく勘所がわかった気がしたのでもみ上げ(本当は冬にやるらしい)を始めたが、どれが古葉でどれが新葉だか良くわからない。とりあえず枝から下に出た葉だけむしりとると、枝振りが見えてきて随分と格好良くなるし、剪定すべき枝も見えてくる(ような気がする)。
 手が届く範囲の作業を済ませてみると、未着手の部分とアンバランスで、とても放置できるものではない。今更植木屋さんを呼ぶわけにも行かず、家にある脚立で作業できる高さでもなく、とうとう足場を組むことにした。
 試行錯誤のため組むときは2時間程かかったものの、解体するときは30分とかからず、見かけほど労力は要していない。子供のころ高い所は大好きだったのに年とともに嫌いになり、さすがに足場の一番上のパイプに立つ勇気は無い。最後まで頂上は手付かずで残ってしまい、ついに苦肉の策で手が届かない部分を切断するという荒業で体裁だけ整えた。
 枝ぶりは決して良いとはいえない松でも、作業前と後とを比較すればはるかに良くなった、と自画自賛している。休日と平日の夕方少々の作業で、一ヶ月以上かかってしまった。実は途中で飽き、情熱を失いつつも、とにかく木を一本仕上げたという達成感を味わうことができた。来年もやるかどうかはちょっと微妙。まあ、コツがわかったので来年からは今年の半分程度の時間でできるだろう。
 植木屋さんが松を配置したがるのは何となくわかる。腕の見せ所だし、その後のメンテナンスの仕事もがっちり確保できる。自分で庭を作るときは松の無い庭にしようと思う。それなら切り倒してしまえばよさそうなものだが、そんな勇気は無い。
注:高さ2m以上で安定した床が無い場所での作業は、安全帯を使わなければならないと定められています。








一応仕上がったつもり

案の定、頂上部の仕上げが不十分でちょっとおかしい。
庭の中で自分では一番気に入っているアングル

緑の海原が広がっているように見えませんか?

ほとんどツツジとツゲなので、どのようにでも作れます。どこまでも続く広大な庭に見えるが、この先は崖。桜のある庭の写真のほぼ反対側から写した物。
私のすることには何も感心しない家内が、珍しく絶賛したヒバの玉散らし

植木屋さんが一昨年作った後をトレースしただけだから大したことでは無い。
植木屋さんと私の感性が合わず、完成途上でひん曲がったままのヒバ

植木屋さんが玉散らしにしたのを私が強引にスパイラル状にした。

 セントレア空港(中部国際空港) (2005.6.5)
 話題のぴかぴか空港。近所から遊びに来る人ばかりで、肝心の旅行客は混んでいて食事もできないと言われているところ。確かにレストラン街は1時を過ぎても満席。並んでまで食べたいとは思わないし、他に面白そうな店がたくさんあっても、まるで竹下通りでさっさと引き上げた。
・短所:混んでいる。中心部のハブから駐機スポットまで遠く、延々と歩かされた。歩く距離が長くて乗り継ぎが面倒。
・長所:飛行機からの眺めはすばらしい。
 仙台からの飛行機が南から進入する場合は、三河湾国定公園の渥美半島を横切り太平洋に出て伊勢湾に進入する。伊良湖岬、恋路ヶ浜が眼下である。だけどこの騒音じゃかの島崎さんも足元の椰子の実に気付かないだろうな。「潮騒」の神島を回りこんで滑走路に正対する。神島で映画のロケをするのはもう無理か。知多半島に沿って北上。小学校の修学旅行でこの辺に来た記憶がある。確か灯台があったが、注視していると白い灯台が目に入る。どうもここらしい。砂浜と磯があり山国から来た小学生には夢のような所だった。(後で調べると野間灯台と言うらしい)
 左側の席からは伊勢志摩国立公園が一望のはず。もっとも右旋回でバンク角の関係から良く見えないだろう。こんなに景色が良いのに、窓にへばりついて写真を撮っているのは私だけ。もったいない。
左端 伊良湖岬
灯台は山の上ではなく海岸にあり、上から見下ろせる灯台は珍しいそうだ。

中央 恋路ヶ浜
昔椰子の実が流れ着いたところ。歌碑がある。恋を語れる渚だそうだ。高校時代に一人で来た(ホント)。恋人たちには無粋なジェット機の爆音だろう。
注:高校時代に恋路が浜を訪れた写真の説明に、「名も知らぬ、遠き島よりの柳田國男を偲んだ」と記されていた。女房子供が「何言ってるの、藤村でしょ」と言うので、藤村と上記したが、よくよく調べてみると柳田國男の話を元に、島崎藤村が詩を作ったようだ。

 愛知万博午餐会に招かれる (2005.6.5)
 Luncheon、日本語では午餐会だろうか、ケンタッキー大学斎藤先生の推挙によりケンタッキー州政府主催のLuncheonに招待された。州知事と名刺交換させていただき、宮城県知事とさえ名刺交換したことが無い事を考えれば大変光栄な事だと思う。カリフォルニア州知事の方が良かったとは言うまい。(写真左端 ケンタッキー大学斎藤孝三教授、中央ケンタッキー州知事)
 隣の席は日本語が全く分からない向こうのお役人で、結構緊張する。和洋折衷料理の場合、どちらのテーブルマナーに従うか判断に迷ってしまう。隣の方は枝豆をナイフとフォークで食べようとしているので、指で押し出すよう教えてあげた。スープは皿ではなく両側に取っ手のある浅いカップ。このような物は向こうのマナーでも手で持って良いらしいが、皆さん器を絶対に持たない。私はジャパニーズスタイルではこうだと手に持って飲んだところ、あちらの方は異文化に触れて感動したのか楽しそうにニコニコしていた。呆れていた可能性もある。
 おろし添えのステーキと小皿にポン酢が出てくると、ワインが回ってきて大胆になった私は、面倒だとばかり小皿のポン酢をそのままステーキの上にかけた。ところが、隣のお役人にしっかり見られた。私と同じ事をすれば間違いないと思い込んでいるようなのだ。うっ、これはまずい、しかし「私は行儀が悪いので直接かけてしまったが、小皿のポン酢に漬けて食べるのが上品(普通か)なやり方です」なんて事を誤解の無いように、すぐに伝えるのは私の語学力では無理。お役人様、この先一生このような料理を食べる事がありませんように。
 ケンタッキー州、日本とのかかわりについて紹介があり、テノール歌手が見事な歌唱で数曲披露してくれた。州歌 My Old Kentucky Home 演奏の時は皆さん起立するんですね。こちらは君が代斉唱で立てといわれて立つくらい。県歌なんて「信濃の国」以外日本には実質的に存在しないんじゃないかな。宮城県歌なんか知らないのに、ケンタッキー州歌を知っていると言うのもおかしなもの。 「この曲は日本で大変有名で、多くの人が知っています」と遠来の方に喜んでいただく事は忘れなかった。

 愛知万博 (2005.6.5)
 わざわざ行く予定は無かったが、幸いな事にケンタッキー州政府から招待され、せっかく行ったのだから楽しむ事にして夜9時までいた。とにかく歩き疲れた。会場全体の土地勘を得るのに2時間くらい、満足するまで楽しもうとするなら最低2日間は必要だろう。
 丘陵地帯に無理やり作った会場のため、アップダウンが多すぎてお年寄りには辛い。メインの周遊路を徒歩で一周すると1時間以上かかり、そこを外してショートカットしようとすれば谷越の道になる。疲労困憊しながら、とにかく一日で全体の雰囲気だけは見て来た。
 サツキとメイの家を見て来いと家内と娘のリクエストがあったが、往復1時間もかけて山歩きをする元気も無くパス。冷凍マンモスは待ち時間15分との事なので行ってみたところ、実質待ち時間3分。一見の価値はありそうだ。しかし、肉屋の冷凍庫にある豚の頭を連想してしまうのは私だけでしょうか? 牙は実に立派。買ったらものすご-く高そう。
 並んでまで見たいと思うものが無く、夜になっていくらか空いたのを見計らい待ち時間が少ないパビリオンだけ見てきた。三菱未来館は全天画像で迫力はあったが、今になると思い出せないくらい印象が薄い。JR東海は時速500kmのリニアモーターカーの立体映像を、予算を付けろと言わんばかりに12分間、これでもか、これでもかと流され、飽きた。
 自然破壊だ、時代錯誤だといろいろと批判があり、運営にもアクセスにも問題が無いとは言えず、遠くからわざわざ行くほどの事もないとは思うのだが、会場のおばさんたちの元気な事! 名古屋弁丸出しで楽しそうにしている彼女たちを見ていたら、水を刺す様な事を言うのはよそうと思った。
結論:予想外に楽しい。近くの人は十分に楽しんで欲しい。遠くの人は興味とお金と暇があれば是非どうぞ。
注意:スーツで行くべからず。ハイキングのつもりで行くべし。
アメリカ館 Luncheonにて

あちらの方は皆さんスピーチが実にうまい。(英語が上手いという意味ではない) 教育システムの違いだろうか。

メトロポリタンオペラでも活躍していると言うテノール歌手 名前は忘れた
アメリカ館の受付嬢
 

撮って良いかと尋ねたら "Sure"
健康的で明るい笑顔でした。
JR東海のリニアモーターカー

本物 現新幹線に比べたら狭い。生きているうちに乗る機会は無いだろう。
トヨタの無人実験車 IMTS

運転手はモリゾー
制御システムは熟成されているとは言えず、ステアリングは常に細かく左右に振動していた。
加速、減速はスムース。
会場で稼動しているSOKの警備ロボットと。
右、開発者で古い馴染みの菅原雄介君

このようなロボットを見ると、必ず足元を覗き込んでしまう。
ダンスロボットのレディーでは、何の躊躇も無くスカートをめくってしまった^_^;

みなさん、楽しそうです。

万博に行きたがっている○○君たちへ 

 君たち万博に行きたいんだって? まあ、この先一生、日本では無いかもしれないから、行って見るのも思い出になるかもしれない。でも、何を見るのかな? マンモス? 牙は立派だけど冷凍肉の塊だよ。 全天スクリーンの迫力ある映像? 数百円で見られるところがあっちこっちにあるよ。 ロボット? もう数年で日本中に広まるぞ。 サツキとメイの家? 一日限定50人だぞ。遠くから見るだけでも山道を30分も歩かなけりゃ着かないぞ。 リニモに乗ってみる? 平日の待ち時間20分だよ。
 大阪万博の頃は海外旅行なんて夢のような話だったから、日本で外国の物や人に触れ合えると言うのは貴重なチャンスだった。でも今は行ってみたいところがあれば君たちでもいつか何とか行ける。
 入場料一日¥4,600(大人)だよ。そして歩き疲れるからロープウエーやトラムに乗るだろ? 往復して一泊するといくらになるかな? そのお金を出せばどこに行けるかな? 一生の間に名古屋へ何度行くだろうか。おじさんは友達がいたり仕事もあったから何十回と行ったが、縁の無い普通の人ならおそらく数回だろう。伊勢志摩、三河湾や、明治村のように一度は行っておきたいところが周りにいくらでもある。
 悪口ばかり書いたが、お祭り好きにとってはたまらないだろうな。。皆、特にオバサンが楽しそうで、雰囲気はとっても良い。中にはあっちへ行く、こっちへ行くと言って喧嘩しているお父さん、お母さんもいるけれど。
 もし行くならじっくり下調べをして、見たいところを決めてからの方がいいね。漠然と歩き回っていると、それだけで日が暮れてしまい疲れちゃうよ。一日じゃ見切れないだろうから楽しもうとするなら最低二日だろうね。あとはお父さん、お母さんと相談してごらん。 

  福知山線脱線事故 (2005.5.1)
 痛ましい事故が起こってしまったものだ。鉄道好き(飛行機も船も車も好き)の私が一番安全な乗り物と思っていただけに残念だ。最大の原因はスピードオーバーと言うヒューマンエラーであることは言うまでもないが、どうもハード的な問題があるような気がしてならない。
 このような事故が起こると、何とか評論家と称する人が出てきて断定的に発言し、それがマスコミに取り上げられ何の確証も得られないまま発言内容だけが一人歩きしてしまう。私も事故調査のプロであった江守先生の弟子なので、報道された事柄についての感想と謎解きに挑戦してみたいと思う。
 JR西日本は逸早く置石の可能性を示唆したが、これは違うと直感した。大昔(小学生の頃)の事なので記すが、目の前でレール上に置かれた砕石が電車で粉砕されるところを見た事がある。置石されたことを全く知らず、ピシッという音と共に粉砕された破片が飛んで来て驚いた。電車は何事もなくそのまま通過して行き、列車は簡単には脱線しない物だと知った。脱線していたら線路際にいた僕らは生きていなかったかもしれない。
 マスコミの論調では、経済性追求のあまり車両を軽量化して強度が落ちたとされ、これもどこかの評論家が言った事を鵜呑みにしているようだ。しかし、これは絶対におかしい。重量と強度は相関関係はあっても、軽いから弱いとは言い切れない。自動車は昔から見るとずいぶん軽くなってきているのに、強度は間違いなく上がっている。軽いから弱いと言うなら飛行機など着陸や乱気流に合う度に壊れて行く。重い後続車両が前方の車両に追突したらどうなるか考えてみれば、軽量化が間違いだとは言い切れない。あなたは自分の安全のために、重い装甲車のような車に乗りますか? もし軽自動車に衝突し、軽自動車の被害が大きいとき、軽く作ったから悪いと言えるでしょうか。
 エンジニアと言うもの、自分が作った物か他人が作った物かに関わらず、問題があったら原因を探し当てなくてはならない場面に良く遭遇する。現場に行き速やかに何とかしなければならない場合、パニックになって頭が真っ白になるような経験も一度や二度ではない。そんな時、物理現象は正直で、注意深く観察すれば原因が必ず見つかると信じる。そう思うと不思議と落ち着くものだ。それでも未だ未熟で分からない事もある。
 子供の頃はのんびりした時代で、路面電車のレールの上に硬貨を置いておく実験を行った腕白坊主がいた。(私ではない)1円玉は潰れるが、5円玉はほどんど潰れないらしい。10円玉は貴重だから実験しなかったのだと思う。置石の件もそうだが、何事も経験していると咄嗟の判断に狂いは少ないし、見当違いを起こす可能性も低くなる。
(注)線路上に異物を置く事はかなり重い犯罪です。事故に至る可能性もあるのでくれぐれも実験してみようなんて思わないように。5月4日の報道では蛇行動の可能性も指摘されていました。犠牲者のご冥福を祈り、原因が徹底究明されることを願っています。

  桜のある家 (2005.5.1 8.2追記)
 イヌフグリの可憐な花が咲き、ヒメオドリコソウが頭をもたげ、梅、水仙、ヒヤシンス、クロッカスの花が咲く。沈丁花が魅惑的な香りを放ち始めると、桜がほころび春爛漫。日本に生まれ、何事も無くまた春を満喫できる喜びを感じてしまう。
 私の家には桜の大木が3本ある。直径は60cm以上、樹齢80年程度はあろうか。写真の通り見事な物だと思うのだが、実際住んでいるとあまり面白くない。直下の家からはほとんど見えない。この写真も近くのビルに上がって写した物だ。近所の人や通りがかりの人は異口同音に誉めてくれるが、自分たちはあまり楽しめないのが事実だ。
 そして維持するのに手間がかかる。花が散りピンクの絨毯ができるのは条件の良い時で、多くの場合は吹き溜まりにへばりつき、絨毯とて数日で褐色になってしまう。それが終わると花柄がぼたぼた落ちてくる。こちらは風で飛んで行く事も無いので、手作業で拾い集めるか、朽ち果てるのを待つしかない。そして最後は落ち葉だ。これがまた凄まじい。木枯らしの北風なら川の方へ飛んで行くから放っておいても良いが、運悪く南風でも吹こうものなら北側の公道に散らばり、ご近所の手前、落ち葉掃きをする事になる。
 それでも夏の強烈な日差しを遮り、涼しげな木陰を作ってくれる。緑陰でバーベキューでも楽しみたいところだが、何時上から毛虫が落ちてくるかわからない。放っておくとアメリカシロヒトリの大量発生があり年2回の消毒も欠かせない。天狗巣病の発生も多く、大木のため手入れは植木屋さんに任せる事になる。
 ある知人が「今度借りた家には桜の木があるんですよ」と得意気に話したので、「おいおい、桜なんて物は近所にあるのを眺める物で、絶対に所有しちゃいけない木だぞ」と脅かしておいた。
 本当に手間のかかる木で、樹木の本にも庭木には向かないと記されているように、公共の場に似つかわしく個人で所有する木ではないようだ。戦後開発された新興住宅街にありながら、老木が残っているのは確かに贅沢だと思う。濡れ縁に寝転がり四季の移ろいを楽しむ事にしよう。
8/2 追記
 毎年何千だか何万だかわからないが、サクランボの出来損ないのような種が落ちてくる。それだけ落ちるのだから、一つや二つ発芽しても良さそうなものだが、屋根の雨樋で発芽した一本しか記憶に無い。それを植木鉢に移植したところ、間もなく枯れてしまった。調べてみるとソメイヨシノは種子からは増やせないらしい。日本中のソメイヨシノは挿し木から増やしたので、全部クローンだと聞いた記憶がある(記憶違い?)。綺麗、見事と言われるだけで子孫も増やせず毎年咲き誇っている桜が、何だか哀れに思えてきた。
 「桜切る馬鹿」と言うが、最近はどんどん切って若返らせたほうが寿命が延びると解って来たそうだ。家の桜も25年ほど昔、枝を全部切り落とし、高さも摘めている。一昨年も直径20cm位の枝を落としているが、樹勢は衰えていない。 

  地震予知 (2005.4.10)
 サイトのアクセス数を飛躍的に増加させるには、地震予知を始める事が一番手っ取り早いようだ。定期更新を怠らなければ一日1,000は軽い。私も試しにサーチエンジンに引っかかるように地震予知と言う題名を掲げてみた。
 2003年に当地仙台では震度4を4回記録した。私も地震は嫌いだから、予知できないか「地震予知」でサーチしてみると20万件も出てくる。有名なサイトからリンクを辿ると、活動的な数十件のサイトに絞り込まれる。それ以来一年半観察して来た結果、地震の前兆を何とか捉えているところが何箇所かあるものの、それ以外は単なる思い込みに過ぎない事を感じ取った。それどころか間違いなく地震ノイローゼ、PSDを増加させている。果ては占い、宗教、カルトまで登場する。
 新興宗教を興すなら地震予知をやるのが良さそうだ。誰でも地震は怖いから大パニックとなる未来予測の話に群がる。「被害を軽減するために祈りなさい、お布施をはずみなさい」を教義とする。 時々、近いうち(なるべくぼかす)にどこどこ(広めに範囲を設定するのがコツ)で、大地震があると予言すれば、地震国日本故、規模を除いて当たらずと言えども遠からずの結果が出る。祈りが通じて大難が小難で済んだと吹聴すれば良い。たまたま大震災だったら神として崇められる。この手の怪しげなサイトには近づかないのが賢明。
 まじめに検証すると、地震前に電磁波の異常があるのはかなり確からしい。ただ、そのメカニズムが解明されていない。岩石に圧力が加わり、破壊する時(時間当たりの応力が著しく変化する時)のピエゾ効果だと言われており実験も紹介されているが、その実験で岩石が破壊する時にピエゾ効果が起こる、と言う証明にしかならない。海底で起きた地震の電気変化が、塩分を含んだ海水を通り抜けて地上に出てくる説明が付かない。
 私は地震雲と呼ばれる現象を頭から否定するつもりはない。ただ、空を見るのが好きな私でも地震と相関のあった変な雲を見た経験が全く無いし、メカニズムも不明である。雲が発生した実験を根拠にしている地震雲信奉者もいる。これとてそのような実験をしたら霧が発生した、というだけで本当の地震との相関は全く議論されていない。
 これは私の仮説だが、電気的変化によって大気中に何らかのイオンが放出され、そのイオンが他のイオンとイオン結合を起こし、水蒸気が凝縮する核となる可能性はあると思う。とにかく雲は大気に流されやすく、地震以外の要因で発生する事がほとんどであるから、地震雲があったとしても観察は難しいだろうし、地震雲を発生させる要因があるのなら、雲を観察するよりその要因を測定した方がよっぽど手っ取り早く確実である。地震雲は震源を中心として同心円になると言う人もいる。そんなにうまい具合に事が運ぶはずが無い。もし本当なら衛星写真やレーダーエコーの雲の画像(ネット上で簡単に見られる)で素人でも簡単に地震予知ができてしまう。
 体感予知も頭から否定するものではない。しかし、地震前兆による体調不良とその他の体調不良が切り分けられていない。動物は人間より地震に対するセンシング能力が高い事を認めても、それとて自分に降りかかるであろう異変を直前に察知しているに過ぎず、動物以下の能力しか持たない人間が時、場所、規模を特定できるはずが無い。体のどこの部分が、どの程度痛いから、何々地方にこのくらいの規模の地震が起こる、なんて事が判るとは思えないのだ。
 地震予知サイトを覗くと、一体この国の理科教育は何をやっていたんだと嘆きたくなる。国語教育もしかり。どう考えてもデマとしか思えない情報に過敏になる人の多い事。関東大震災の時にはデマによって多くの悲劇を生んだが、口コミのデマよりもインターネットが普及した現在ではネット上のデマが怖い。あまりに馬鹿馬鹿しい論陣を張る人には反論してやりたくなり、私も一時期論証を試みた事もある。まあ止めておいた方が無難だろう。科学の限界を主張する人には何を言っても無駄。まるで異教徒にしか見えないらしい。科学が苦手な人は、地震予知サイトに近づかない方が良い。間違いなくノイローゼになる。地震の犠牲者と交通事故者、自殺者の数を比較して見れば良い。何が一番危険か言うまでも無いだろう。
 遅々としていても地震予知研究が進んでいるのは事実と思いたい。1979年の宮城県沖地震まで仙台は地震が無いと言う、今考えれば可笑しい神話があった。地震があっても大きな犠牲、震災が少ないと言う意味では当たっている。それが今や宮城県沖地震の周期性が確かめられている。今から十数年後に訪れるであろう次の宮城県沖地震の時は地震予知が成功する事を切に祈る。 

  寒い! (2005.4.9)
 今年は真冬に寒い所に縁があり、1月の室蘭、2月の松本へ行って来た。とにかく寒い。松本に十年ほど住んだが、どのくらい寒かったかという定量的な記憶がほとんど欠落していて、学校の廊下を雑巾がけすると、一往復の間に前の一往復分が凍った、風呂場のガラス戸に毎朝花が咲いた等、断片的に覚えているにすぎない。
 まあしかし、仙台だって適当に寒いし、どうにかなるだろうとたかをくくっていたが、松本散策中に日は陰り、風が吹きだし、剥き出しの首から上が辛く、鼻水は出てくるし、頭痛までし始めた。日がとっぷり暮れた頃、ようやく40年前の感覚が戻ってきた。松本の冬の夕暮れはもの悲しく、外出したってろくな事が無いから、ほとんど外に出ず、炬燵で丸くなっていたのだった。とうとう我慢できず、耳を隠せ頭を覆える帽子をコンビニで購入。暖かい部屋に入った時の心地良さと言ったら無い。自分の幸せの一つの形が、何もしないで炬燵で丸くなっていることだと思っているのは、その昔の体験が染み付いているからかも知れない。
 1月末の室蘭も寒かった。千歳から室蘭への特急はあいにく満席で、デッキに立ち通し。車内なのに防寒着を頭から被っていないと我慢できない寒さだ。時々ドアの隙間から雪が舞い込み顔に当たる。信じられない事に何とドアの内側に雪が付き始め、しばらくするとドア下部が白くなってきた。
 駅からホテルまで徒歩で行く間は、強風にあおられアイスバーンで体の保持もままならず、八甲田山死の彷徨もかくやと思うほどだった。足を滑らせ、風に車道まで飛ばされたら悲惨な事になる。これに懲りて靴の裏に付けるアイゼン(写真予定)を買ったが、幸いな事に本当に必要だったのはその時だけだった。
 松本は雪が無いだけ楽だが、観光で松本に行くなら冬は避けた方が良いかもしれない。観光客は少ないし(それでも居る)、ホテルは安いし、山が良く見える。そう考えれば悪くは無い。

  車窓から-中央東線 (2005.4.5)
 私は遠出が好きだ。遠ければ遠いほど心は浮き立つ。その代わり近場の繁華街に行くのは億劫で、家でごろごろしている方を選ぶ。遠くに行くと自分でも驚くほど行動的になるのに、家では「明日でいいや」と言う気になってしまう。今回も 2月12日、東京出張の帰りにちょっと?寄り道して故郷松本まで脚を伸ばした。
 中央東線(正式には中央本線、塩尻-篠ノ井間は篠ノ井線)は、私の最も好きな路線の一つだ。右に左に山々や湖が展開するこの路線で、本なんか読んでいられようか。そして終着松本は少年期を過ごした町、興奮しないでいられようか。
 2月12日、12時ちょうどの「あずさ17号」に乗る。ちなみに有名なあずさ2号は現在6時4分松本発の上りである。新宿駅では長距離列車のホームが代々木寄りに大移動したのを知らず、少々慌てた。長年慣れ親しんだ急行「アルプス」が全滅したのも知らなかった。八王子までは見慣れた首都圏の駅が続く。通勤電車を待つ人をクロスシートにふんぞり返って眺めるのも良し。昔は逆の立場の方が多かった。
 八王子以西の中央東線はどちら側に座っても景色が楽しめる。南側なら相模湖、甲斐駒ケ岳、諏訪湖、北側なら八ヶ岳。中学まで松本で過ごし、東京往復は何十回もしたのに、実を言うと中央東線から富士山が見えると言うことを、数年前まで不思議な事に気付かなかった。その時も東京から松本経由の仙台帰りで、暮れ行く景色をぼんやりと眺めながら、この辺で富士山が見えやしないかと振り返った瞬間「いきなりガッと 夕映えの富士」(草野心平 富士山 作品第貳拾壹 宇宙線富士より)と言う詩そのままに、突然視野に捉えられた富士は紅の空に浮かび、ものすごい迫力で迫っていた。
 今回はじっくり見てやるぞと意気込んだ結果、甲府から県境に至るまでかなり長時間富士が見える事がわかった。しかも南側の車窓からしか見えないと思い込んでいたのに、線路が北側に大きく回りこむところでは、北側の窓からも眺められる事を知った。富士山が良く見える事を最近まで全く気付かなかったのは何故だろう。
車窓から撮影した富士
何枚か写したうちのベストショット。東海道側から見た富士は、のっぺらぼうだが、北西側から見ると荒々しい迫力がある。

 考えてみると松本在住当時は毎日山に囲まれていたわけで、車窓から富士が見えようが八ヶ岳や、甲斐駒が見えようが大して興味も湧かず、注意してみようと言う気持ちが無かったのだろうと思う。帰宅後地図で確認すると、これでは気付かないわけだと納得してしまったが、諏訪から甲府までの線路を延長すると、ほぼ富士山頂に至る。左右どちらの車窓からでも見えるチャンスはあるものの、角度が浅く意識しないと良く見えない。運転手さんだけがこの絶景を真正面で楽しんでいたのか。
 小淵沢を過ぎると八ヶ岳が車窓に展開する。これは見損なう事が無い。と言っても見間違えていた。最近読んだ本で、偽八ヶ岳(正しくは茅ヶ岳1704m 甲府西北)と言う物が存在する事を知った。同じように山頂が連なって山脈を形成し、輪郭はかなり似てにているが規模が全然違う。それでも遠近の関係で車窓から見える大きさはほとんど同じになる。昔から八ヶ岳が非常に荒々しく見えたり、柔和に見えたりするのが不思議だったが、柔和な方が偽物だったようだ。隣の席の老夫婦、旦那さんが奥さんに偽物を指して「あれが八ヶ岳だ」と言っていた。
にせ八ヶ岳と言われるらしい茅ヶ岳
竜王付近からの図
小淵沢付近からみた本物の八ヶ岳
上記の同じ場所よりやや西から撮影した本物の本物の八ヶ岳

 2月の諏訪湖は全面凍結し、御神渡りでも見られるかと思っていたのに、氷なんてどこにも見えない。暖冬だったのだろうか。結構寒いと思うのだが。高ボッチ、美ヶ原の見慣れた山々が見えると、松本に到着する。駅舎は変わっても、ホームは昔のままだ。
 風景確認にカシミール3Dと言うソフトを使った。、http://www.kashmir3d.com/ 実におもしろい。フリーソフトだが実業之日本社から書店を通して解説書付きで販売されている。価格1,900円。山岳風景は驚くほど実景を再現している事がお分かりいただけるだろうか。東京や仙台の景色を出しても遠くの山がわずかに見えるだけであまりおもしろくないが、信州のの景色を出すと実におもしろい。山頂からの展望もシュミレートできる。推薦できるソフトだが、5年も昔のパソコンでは作画が遅く使い辛い。 

  花粉症 (2005.4.5)
 梅の花が咲き、沈丁花も甘い香りをほのかに放ち始めた。こうなると心浮き浮きで、家にじっとしてなんかいられない。選定挟みを持ち出し、植木の床屋さんを始めた。これは結構楽しい作業だ。お金を払って植木屋さんに楽しみを分け与えるのはつまらない。1時間も屋外作業をして家に入ったとたんくしゃみ三連発。鼻水ぼたぼた。2時間くらい休み、落ち着いたところで外に出ると鼻水が出始める。今まであまり意識していなかったが、これは花粉症であることに疑いない。
 確かに10年ほど前から毎年この時期になると頭痛がしたり、鼻風邪を引く事が多く、季節の変わり目だから、くらいにしか思わなかったものの、昨年日本を離れた時はピタリと収まり帰国するや否やぶり返し、花粉症と確信するに至った。
 花粉症やアレルギーなんて物は深窓の令嬢か上品な紳士が罹るもので、私のような無頼漢は無縁だろうと信じていた。何でも抗体が限界にまで増加すると一気に症状が出るらしく、老後は縁側で日向ぼっこを夢見ていた我が身には悲しい。外に出なければ症状が悪化することは無いからまだ良いのだが、これでは深窓のおじさんになってしまう。家内が喉と鼻の粘膜を外に出して洗いたくなる、と言っていたが、ようやく共感できるようになった。
 戦後日本の復興を夢見て植樹された木々が、その後放置され我々を苦しめるとは皮肉な物だ。花粉症による経済のマイナスを考えると、日本の杉を全部切り倒した方が良いと言う極論もあるようで、できる事ならそうしてもらいたいものだと思う。私自身の好みだけ言わせて貰うなら、針葉樹林よりも広葉樹の方が好きで、手入れができないなら植生豊かな自然林が良い。

  手間を楽しむ - 胡桃割り (2005.2.18)
 松本のみやげ物店で見つけた「くるみ割り」を思わず買ってしまった。もちろん殻付きの胡桃も買ったが、これは道具を試すためで、胡桃を食べたいために買ったわけではない。写真のように木でできた容器に、木製のねじが差し込まれているもの。機構としてはシンプルである。
 ねじを回して行けば胡桃は割れるが、軽く割るにはコツがいる。強度的に一番弱そうなところを狙わないと結構力が要る。ペンチかプライヤーを使った方が早そうだ。それでもこのばかばかしい儀式は気に入った。何とか実を取り出して口に入れると、これが実にうまい。殻を取った胡桃ならそこらにいくらでも売っているが、確実にこちらの方がうまい。本当にそうなのか、苦労して取り出したからうまいのかその辺の事はよくわからない。
 考えてみると蟹も同じようなもの。中身だけ山と積まれても、同じようにうまいと感じるかどうかはわからない。手間要らずの蟹缶も結構うまいが、その理由ははっきりしている。値段が高いからだ。高いものは絶対にうまい。そう思わなければ損だ。

  私の古傷 (2005.1.1)
 心の古傷を語るつもりはない。体に残った傷の方がおもしろい。本田宗一郎さんの手のひらにはたくさんの傷がある。夢中になると手の存在を忘れ工具をつきたてた痕、本田さんはこれらを自分の宝物だと言っていた。突っ走って名を成した本田さんだからこその言葉。
 私が同じ事を言ったら、無謀のそしりは免れない。名を成していない今、指の一つ、腕の一本、命までも落としてしまったらつまらない。だから私は電動工具を使うときは非常に慎重になる。かえって電動工具以外で怪我をした事が多い。一番の深手はカッターナイフで指の先2mmほどを切り落としてしまった事で、剥れた皮膚をテープで止めておいたら、自然治癒した。 私の昔の上司にはものすごい兵がいて、ナイフで骨まで見えるような傷を作っても医者に行かず、自分で固定していたら直ったという方がいた。血が流れるような傷をつけたとき、この話を思い出すとたいした事無いな、と冷静でいられる。
 私の手には二つの火傷痕がある。一つは布団に入れていたあんかで、寒さのあまり握り締め、わずかに露出した金属部分が手の甲にしばらく当たっていたのだろう。もう一つは物心付く前のことで覚えていないが、どうも親父のタバコの火が何かの弾みで押付けられてしまったらしい。このタバコ痕を見ると死んだ親父を思い出す。まったく今考えても安全には無頓着な人で、私を自転車の荷台に乗せたまま坂道に止め、この時の倒れ行く映像が私の一番古い記憶のような気がする。
 かなり危ない目にも合わされたが、この親父のおかげでずいぶん楽しい事も経験した。幼稚園の時から木登り、屋根登り、ボート漕ぎを覚え、小学校では100Vに何度も感電していた。小学校5年では100万円という大金を松本から東京まで運ぶという任務まで負わされた。今考えると身の毛のよだつ事ばかりで、昔の子育ては豪快だったと思う。

  年頭に (2005.1.1)
 年末になるとパソコンのありがたみを痛感する。昨年末は多忙で年賀状を書く時間もあまり取れず、適当に手を抜きパソコンをフル稼働させ4時間で約200枚の賀状を作り上げた。版画のような手の込んだものは遠い昔の話。
 いささか面倒と思っても、今年もまた賀状を出せる事はありがたい事だと思う。。とにかく何も無かった一年なのだから。
 ものすごく若い頃、今年の目標、なんて事も新年には考えたが、年々それも薄れてきた。変化が激しく三ヵ月先はどうなるかわからない。この先一年なんて考えられなくなってきた。それでもこんな物を書いているのだから、多少は新年と言う事を気にしているようだ。
 今年一年、何も無く平々凡々たる毎日が送れることを、ここにいらした皆様のご多幸を祈ります。